創立当時の背景〜九州火力建設の設立

昭和20年代後半は、経済界の好況を反映して産業活動の基盤である電力需要は急速に増加した。しかし、当時のわが国の火力発電技術は世界水準に比べ20年近く遅れているといわれており、九州電力㈱では電力の供給力不足の解消と火力発電技術のレベル向上に向け、当時の佐藤篤二郎社長の英断で、1機1缶のユニットシステムの新鋭火力発電プラント一式をアメリカから輸入し、九州電力苅田発電所1号機(7万5,000kW)が建設されることになった。一方、火力発電所の建設工事は、電力会社の直営工事から請負工事に移行していたが、請負業者の大半は、小企業で技術水準が低く、また会社の急増による受注競争の激化の弊害が生じ、建設体制の再検討が迫られていた。     

このような状況を受けて、九州電力㈱では、この最新鋭火力発電プラントの建設に当たって、火力発電所専門の建設会社を設立し、以後の工事を委ねる画期的な構想が打ち出された。

昭和28年11月、九州電力㈱の佐藤社長は、同社戸畑発電所の石橋正人所長(後の第2代社長)に新会社設立を内命し、石橋氏はその方針に沿って新会社の構想案を策定した。これは、「直営方式の良心的施工と請負方式の高能率施工の特色を生かし、技術的にも、また経営面でも安定し、信頼し得る建設会社を設立する」ことを骨子としたものであり、石橋氏の「当社はトンネル会社になってはならない」「当社は既存会社の看板の塗り替えであってはならない」「当社は他企業からの定年退職者の養老院であってはならない」の三つの信条に基づいたものであった。

また、その後の九州電力㈱の火力発電所建設工事のうち、土木・建築の両部門を除いた主要機器据付工事を九州電力㈱から直接特命で一括受注し施工することを主業務とし、併せて急速な技術革新に即応できる技術力の養成も目的とした。その後、石橋氏のもとで設立準備は進められ、29年4月28日に創立総会を開催、同年5月1日、当社の前身である「九州火力建設株式会社」が設立された。