1964-1973

自立と発展の時代

創立から15年。5項目にわたる社是が制定された。「全員一致、社是のもとに」をスローガンに、総力を結集し、成長を目指した。

1964

1964.5.1

「九州火力工事株式会社」に社名変更

創立10年目に火力発電所の新設が進み保修工事のウェイトが高まったことから、社名を変更。

第3代社長 小林 精

在任期間:1964年5月〜1965年2月

1964.7.11

電気事業法公布

1964.8.20

九州電力㈱大村発電所2号機建設工事完成

第4代社長 古賀 三郎

在任期間:1965年2月〜1969年12月

1965.4.25

初の技術者海外派遣(クウェート)

アラビア鉱業所(クウェート)へ向かう機械・電気の技術者4名。

1965.9.10

社内報「九火」創刊

会社と社員、社員間、各事務所間が双方向のコミュニケションを図るために、社内報「九火」を発刊。第1号の誌面では、古賀社長(第4代)の発刊のことばや、苅田・小倉・港の各事務所の現状、社員から寄せられた投稿などが紹介された。

1965.7.25

日本原子力発電東海発電所運転開始

1966.10.14

九州電力㈱港発電所(新)2号機建設工事完成

1967.8.11

九州電力㈱大岳発電所建設工事完成

九州電力㈱が地熱の将来性に着目して開発を推進した、九州初の地熱発電所の建設。

1967.9.3

九州電力㈱唐津発電所1号機建設工事完成

最盛期には社員と協力会社を含めて500名近い体制で施工。本格的なデジタル電子計算機付制御が採用された、当時としては画期的な発電所であった。

1968.8.19

社旗制定

1969.1.1

社是制定

社是は、創立当初から先輩方が語り合い、励まし合って実現した職場の合言葉の集約。これを将来へ受け継いでいく意図で制定された。特に「誠実な施工」は今日の当社を象徴する代表的な言葉となっている。

1969.7.31

九州電力㈱大分発電所1号機建設工事完成

大分発電所1号機タービン室組み立て工事(写真は1968年8月)。

第5代社長 菅原 四郎治

在任期間:1969年12月〜1977年6月

1970.6.1

九州電力㈱大分発電所2号機建設工事完成

1946年の工法

本格的ブロック工法

タービン・発電機据え付け工事で導入。

1971.3.1

「西日本プラント工業株式会社」に社名変更

1970年に九州電力が発電所建設の発注方式を「メーカー据付渡し方式」に変更したことに伴い、当社は大きな転換期を迎えたため、社内外に向けてイメージチェンジを図ることを目的に社名を変更。

1971.4

新社章・新社旗を制定

福岡市博多区出身のデザイナー西島伊三雄氏が社名の英文表記「Nishinippon Plant Engi-neering and Construction Co., Ltd.」の頭文字でマークをデザイン。曲線を巧みに生かした斬新なものとなっている。

1971.7.1

環境庁発足

1971.7.2

九州電力㈱唐津発電所2号機建設工事完成

1971.9.23

大分共同火力㈱1号タービン発電機据付工事完成

1971.10.15

鶴崎共同動力㈱2期工事完成

1972.4.27

九州電力㈱苅田発電所新2号機建設工事完成

1973.4.24

大分共同火力㈱2号タービン発電機据付工事完成

1973.4.28

九州電力㈱相浦発電所(新)1号機建設工事完成

1973.6.29

九州電力㈱唐津発電所3号機建設工事完成

1973.7.25

資源エネルギー庁発足

1973年の工法

発電機ジャッキアップ工法

ステーター吊り上げに施工。

1973