1954-1963

誕生から成長軌道へ

九州電力㈱苅田発電所1号機の建設工事から始まった当社の歴史。この建設工事が当社の礎となり、ここから熱い情熱と堅い意志を連綿と受け継ぐことになる。

1954

1954.5.1

「九州火力建設株式会社」設立

(写真)石橋正人氏(第2代社長)が新会社の構想を練り、九州電力㈱へ提出したもの。「事業は人なり」という強い信念が記されている。

1954.6.28

建設業登録(福岡県知事登録)

建設業の登録は昭和29年6月に福岡県登録を行い、その後、昭和32年2月に大臣登録となった(建設大臣二第5356号)。

1954.6.27

ソ連、世界初の原子力発電所(オプニンスク5,000kW)運転開始

1954.8.23

苅田事務所開設

当社初の事業拠点となる苅田事務所。

1954年の工法

コロ引きで移動運搬

創立間もない昭和30年の九州電力苅田発電所建設は、資金不足から建設機材が十分に手配できず、機器の搬入では「コロ引き」(樫の木の丸太棒の上を転がす)と呼ばれる原始的な方法を採らざる得ない状況であり、今では想像もつかないほどの苦しい作業を強いられた。

1954年

KKKマークを制定

社員に誇りと愛社精神を培うため、九州火力建設の頭文字を表す社章を制定。苅田発電所建設工事において、アメリカのウェスチングハウス社から派遣されていた技師の間では、当社は3Kではなく4K (KYUSHU-KARYOKU-KENSETSU­KK)の会社としてその名を知られていた。

1955.12.19

原子力三法の公布

原子力基本法、原子力委員会及び原子力安全委員会設置法、総理府設置法の一部改正

1956.3.31

九州電力㈱苅田発電所1号機建設工事完成

営業運転開始まで延べ388日の実績工期で完了。最新の火力発電技術を習得することで今日の基礎を築くことができ、日本の火力発電技術レベルを世界水準に向上させることに大きく貢献した。

1956.5.19

科学技術庁発足

1957.7.29

国際原子力機関(IAEA)発足

1957.8.11

九州電力㈱大村発電所1号機建設工事完成

苅田発電所1号機の定期修繕工事と並行し、日本最初の国産新鋭機となる当発電所を完成させた。

1957.8.27

東海村に「原子力の火」ともる

1958.4.2

広域運用のための中央電力協議会設置

1959.3

初の周年行事

当社にとって初めての周年行事は創立5年目に実施した行事。この行事では社長によるメッセ ージと、社員には記念品としてタオルが配布され、お客さまにはお礼状が贈られた。

1959.6.21

九州火力建設労働組合結成

創業後の数々の試練を克服しながら、全員が力を合わせて新鋭火力発電所の建設完工に傾注する中で、労使関係の近代化と共存共栄を図っていくことを目的に結成。

1959.11.29

九州電力㈱苅田発電所3号機建設工事完成

1960.9.10

九州電力㈱港発電所(新)1号機建設工事完成

1960.9.30

OECD(経済協力開発機構)発足

1961.10.10

九州電力㈱新小倉発電所1号機建設工事完成

1962.4.1

通商産業省に電気事業審議会を設置

1962.9.12

日本原子力研究所の国産1号研究用原子炉(JRR-3)臨界

1962.11.30

九州電力㈱新小倉発電所2号機建設工事完成

1963.4.23

労働協約締結調印

労働組合発足から4年目、本部が設置されていた苅田事務所にて、宮西昇初代委員長(左)と石橋正人2代目社長(右)が握手を交わす。

1963.11.30

西日本共同火力㈱新苅田発電所建設工事完成

新苅田発電所概要(左)とその中の掲載写真(右)。西日本共同火力㈱は、昭和47年に九州電力㈱に統合。

1963