1974-1983

危機をバネに大躍進

1982年、社憲が制定された。先人の志を基盤とし、将来の変化や価値観の多様化にも対応し得る不変の意志を明文化。未来への躍進を誓い合った。

1974

1974.3.15

電源開発㈱竹原火力発電所2号機建設工事完成

1974.1.16

第1次石油ショックのため電力制限

1974.2

社内報100号発刊

ガリ版の片面刷りで創刊された第1号から8年目。タイトルは「九火」「九火新聞」「NPCニュース」と遷り変わった。

1974.6.6

電源三法公布

1974.6.21

沖縄電力㈱石川火力発電所1号機建設工事完成

1974.7.2

九州電力㈱川内発電所1号機建設工事完成

1974.9.22

第1回社内交流スポーツ競技大会開催

1974.12.1

中央安全衛生委員会発足

1975.4.25

NPC安全衛生協力会発足

年1回総会を開催し、協力会社と緊密な連係のもと管理体制の強化や安全意識の高揚に取り組んでいる。

1975.6.30

三井アルミニウム工業㈱三池発電所2号機建設工事完成

1975.10.15

九州電力㈱玄海原子力発電所1号機建設工事完成

九州初の原子力発電所となる当工事は1971年3月から着工。当社初の原子力発電所の建設工事であり、工事着工前に先行する原子力工事で研修を行うため、関西電力美浜原子力発電所に社員を派遣した。1973年の最盛期には要員400名が工事に従事。

1976.4.26

本店を電気ビルに移す

1976.10.1

九州電力㈱相浦発電所(新)2号機建設工事完成

1976.12

四国電力㈱阿南発電所4号機建設工事完成

第6代社長 石﨑 貞正

在任期間:1977年6月〜1983年6月

1977.6.24

九州電力㈱八丁原発電所建設工事完成

山間僻地の現場で、機械搬入の困難、冬季の厳寒、積雪や凍結、国立公園内での施工に伴う制約など厳しい条件の中、多くの困難を克服し、工事を完遂した。

1977.9.30

四国電力㈱伊方原子力発電所1号機建設完成

1977.12.9

九州電力㈱豊前発電所1号機建設工事完成

1978.1.31

イラク・ハルサ発電所建設要員第1陣出発

当社初の海外建設工事。協力会社含めて24名体制で種々の制約と予測しがたい事態の中で建設工事を施工した。

1978.3.1

戸畑共同火力㈱4号機建設工事完成

1978.6

沖縄電力㈱石川火力発電所2号機建設工事完成

1978.9.29

九州電力㈱新小倉発電所3号機建設工事完成

1979.3.28

米国スリーマイル島原原子力発電所で事故発生

1979.4.20

殉職者・物故者合同慰霊祭

創立25周年記念行事の一環として合同異例社が行われ、58名の方々の冥福を祈った。

1979.6.1

九州電力㈱新小倉発電所4号機建設工事完成

1979.8.26

創立25周年記念全社合同運動会

1,371人が参加した合同運動会は、事業所対抗の応援合戦、ゲーム競技の熱戦が繰り広げられた。

1979.9

中国電力㈱下松発電所3号機下松3号機建設工事完成

1980.6.6

九州電力㈱豊前発電所2号機建設工事完成

1981.1.16

電源開発㈱松島火力発電所1号機建設工事完成

1981.3.30

九州電力㈱玄海原子力発電所2号機建設工事完成

1981.5.29

沖縄電力㈱牧港火力発電所9号機ボイラ据付工事完成

1981.6.19

電源開発㈱松島火力発電所2号機建設工事完成

1981.11

北陸電力㈱富山新港火力発電所2号ボイラ据付工事完成

1982.1.1

「社憲」「行動指針」制定

「社憲」は諸先輩の志を基盤として、将来の変化や価値観の多様化にも対応しうる不変の意志やあるべき行動の規範としてまとめられたもの。「行動指針」は社憲を実践していく上で、経営者や管理者が自覚すべき役割と責任、行動の基本を「経営者の指針」「管理者の指針」として示し、当社の社員が共通して持っておくべき共通の基本的心構えを「社員の指針」として示したもの。

1982.3.20

四国電力㈱伊方原子力発電所2号補機配管据付工事完成

1982.11.10

北九州エル・エヌ・ジー㈱冷熱発電プラント据付工事完成

1982年の工法

建設工程短縮のための新工法

九州電力川内原子力発電所建設工事に向けた施工技術の習得。

第7代社長 増田 耕

在任期間:1983年6月〜1989年3月

1983.6.1

三井石炭鉱業㈱火力ボイラ据付工事完成

1983.7.1

九州電力㈱新小倉発電所5号機建設工事完成

1983